恐かった・・・

 9日水曜日、テニスのレッスン中、やけに長い地震があって。


 今思えばあれは予知地震だったのかも。


 10日木曜日、ハープのレッスンに行き、小学校の時間割などがわかるまでしばらく来ないことになってたので、とりあえず最後のレッスン。


 帰りに総武線の遅延に合い、新小岩で快速に乗り換え、幼稚園へギリギリ5時到着。


 ここ数日のドタバタも予知だったのか?!


 11日、運命の金曜日。


 来週の卒園式に向けて、美容院へ。


 予約時間がいつもより遅かったので、終了後にコンタクトの定期検診へ。


 その後、遅くなったけど1人でランチを食べにそごうの地階へ。


 一口、ちょうど食べ始めた時にグラグラ。


 あれ?また地震?と思いながら食べてると、なかなかおさまらない。


 そのうち、周りの人たちがヤバイヤバイ!!と言い出し・・・看板もグラグラ。


 いけすの水も波打ち始め・・・ついにみんな外へ!


 外に出ると、隣接の23階建てビルが揺れてグニャグニャに見える!!!


 着ていたダウンを頭にかぶり、しゃがんで上を見ながら、ここで1人で死にたくない!と思いながら、携帯で東北の震度7を知る。


 ようやく揺れがおさまったところで、食べ途中だったオムライスを食べ終え、とにかく早く子供たちを幼稚園へ迎えに行くべく、駅にそそくさと向かう。


 歩きながら、きっと電車もモノレールもアウトだな、と思い、とっさにバス停へ。


 駅前はものすごい人で、大パニック。携帯もつながらない。


 バス停に並んだのが早かったので、バスがすぐに来て、座れた。


 バスはおそらく、私と同じ考えの人でぎゅうぎゅう詰め。


 途中の中央公園にもものすごい人人人。


 信号待ちをしていたら、あんなにぎゅうぎゅう詰めのバスがゆらゆら揺れて、倒れそうに。


 高校生はみんな悲鳴あげるし、生きた心地がしなかった。


 その後、幼稚園から電話が。「お母さん大丈夫ですか?!子供たちは大丈夫ですので」と。


 実家の母ともやっとつながり無事確認。
 

 バス停に着き、モノレール駅前に置いておいた自転車を取りに行き、その足でスーパーへ。


 また地震が来たら買い物に行けない、と思い。


 とりあえずのパンや牛乳、ヨーグルトを買って幼稚園へ。


 行くと園庭の真ん中に敷物を敷いて、毛布でみんなくるまっていた。


 先生方が子供たちの荷物を用意してくれていて、私はかなり早い方だった。


 泣いたかと思いきや、けろっとしている子供たち。とりあえず合流して一安心。


 貴重な経験をしました。先生もいたし、安心だったな。


 自宅に戻るとマグネットの無い戸棚は全開。


 食器が若干割れた程度。


 自転車のヘルメットを子供たちにかぶらせて、外へ出る時の鞄を作りながらテレビを見て。


 そのうちパパ帰宅。家族全員揃って一安心。


 そのうち弟からもメール。弟は新宿の高層ビルで働いてるので、さぞかし恐かったのではないかと。


 夜になっても落ち着かず、夕食はお弁当に使う冷凍食品をおかずに、食べました。


 官房長官も触れていた、チェーンメール、4通も届いてます。


 用心に越したことはないけど、確かに不安をあおるよねぇ。


 そうは言っても、電気も水道もガスも使えて、生活できることに感謝。


 ただ、スーパーにはパンや乳製品が無い。


 お魚も食べられなくなるよね、きっと。


 ニュースを見ては、仙台に長期間住んでいたパパが「ここよく通った」とか言ってて。


 子供が生まれる前に行った陸前高田。壊滅状態と聞き、鳥肌が立ちました。


 気仙沼の魚市場とかも行ったことがあるので、他人事とは思えないです。


 早く東北、関東甲信越の皆様が地震の恐怖から解放されますように・・・。